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準ひきこもり(その2)

http://www2c.biglobe.ne.jp/~agnus/dls/060513tempA.html
こちらのAgnusさんという方は、準ひきこもりは基本的に発達障害が第一の原因という考え方をされていて、当事者としての立場から樋口氏の論文の問題点の指摘をされています。
私もこれにほぼ同意です。ほぼというのは、発達障害が原因ではないケースも(確率的にはわずかでも)無いとは言いきれないためです。

発達障害が原因であった場合の対策方法について、Agnusさんが的確な指摘を書かれているので引用させてもらいます。
対策の第一歩は、該当する学生各々が自分と同様の「症例」の存在とそのバリエーションを知り、自分のできることとできないことを自らの分析によって明確にすることです。そこを押さえれば、もともと知恵のない人ではないのですから人間の社会の中で自分が占めることができる場所を探すことくらい、自分で始められます。始められたものの結局それが見つけられなかった場合に初めて、周囲からも手をさしのべる意味が生まれます。樋口先生の提案する上記の対策は……またたとえ話で恐縮ですが……地雷原でマラソンさせることによって目の見えない人に透視能力を身につけさせようとするようなものです。それでは神経症にならない方がどうかしています。


全く同意です。
そして発達障害が原因ではないケースでも、自分と世界との関係性をよく分析し、自分の意思で行動を選択する事が唯一の道である事は確かです。

ついでと言ってはなんですが最後の部分についても興味深いので引用。
ところで、「社会に適応するための力」を身につけることが結局できなかった人はどうすればよいのでしょう。いっそ安楽死用の薬剤でも与えますか?
私はそれもいいのではないかと思いますよ。 
「この世界では引きこもることすら(物理的、経済的に)許されない」ならば、「生きていくこと=人付き合いすること」になってしまいます。「準ひきこもり」の人にとっては「人付き合い=苦痛」です。従って結局「生きていくこと=苦痛」となってしまうわけです……もしも「社会に適応するための力を身につけられない」ことすら許されないのならば。
私たちがもしもそんな社会しか作れないのなら、そこに居られない人には安楽に退場していただくというのも、ひとつの立派な、「人間的」な解決策だと思います。まじめな話。

ご自身で自閉的気質と言われるだけあって、とても「自閉的」で、洗練された考えです。
私も内心では実は同じ考え方をしてます。
本当に解決方法がないと悟ったなら死ぬ選択もあるという発言なんて、一種のタブーですよね。自閉気質の人は「理屈ではなくとにかくそれを言っちゃだめなんだ」では理解できません。そして非自閉者は自閉者の「それが理解できない」という事が理解できない。
こういう脳の機能的差異による考え方の溝を埋めて、相互理解が深まらないとひきこもり・準ひきこもり問題はこの世から無くならないでしょう。


準ひきこもり

水のしずくのサイト上で使っている「社会参加者」という言葉を「準ひきこもり」にしようと思っています。
「準ひきこもり」という概念を最初に提唱したのは富山国際大学の樋口教授。
論文はネット上で読めます。
大学生における準ひきこもり行動に関する考察(PDF)

水のしずくで「準ひきこもり」という言葉を使いますが、言葉の用法として樋口氏の論文の内容に全面的に同意するものではない事を最初にお断りしておきます。
というのも、この方が言われているように
樋口氏の論文は、状況認識は正確だが、処方箋が大きく間違ってしまっていて保守的価値観の反復に終わっている。状況を正確に判断した上で、その現象に対する原因理解をした上での処方箋が必要
だからです。

論文の具体的な問題点の指摘はすでにネット上で大勢の人がされていて、あえてここで反復する必要もないので「準ひきこもり」で検索して読んでみて下さい。
ここではそれらと重複しないと思った点についてだけ書きます。

【樋口氏の保守的価値観】
極めて自閉的かつ無為に過ごすのだから、社会性がほとんど身につかず、卒業しても会社での激務など到底できない。立ち直るのは難しくそのまま人生自体を無駄にしかねない。
だから社会性を身につけなければいけないという論調。
この論文だけではなく社会全体にこの風潮があるように感じるんですが、私は個人的に「社会性を身に付けない人生を送るという選択もあり」だと思っています。
誰とも交流せず孤独に物語をひたすら書き続けて死後に作品が発見された「ヘンリー・ダーガー」は生き方は完全に「準ひきこもり」ですが、彼の生き方が間違っていると主張する人は見かけません。逆にアウトサイダー・アーティストと呼ばれ高い評価を受けています。
しかし現代の「準ひきこもり」は問題視され、矯正が必要だというこの矛盾が、現代の価値観の不完全さを表しています。

「卒業しても会社での激務など到底できない」などの全く根拠の無い決め付けも理解できかねます。対人関係が苦手でも、自分の得意分野を伸ばして自分なりの人生を立派に送っている人は大勢います。運悪く得意分野が見つからず、本当に会社についていけなかったとしてもその体験や悩みもまた大切な人生の一部です。そうした挫折を身をもって体験する事で、はじめて自己分析・自己修正が可能になります。
その生き方に問題があるという穿った見方こそ偏見の塊であり、問題です。
私事ですが、16歳頃から人と関わらない生き方を選択したはずなのに、気がついたら自分から関わらなくても人のほうから関わってきてくれるようになっていました。
「自分が変われば世界が変わる」というのは実体験からそう思えます。
ブッダは「人生は苦だ」と言ったそうですが、苦をとことん突き詰めていくと不思議な事に、いつのまにか自分は苦のなかにはいないんだと思えるようになります。逆に、楽を探せば探すほどどんどん苦しくなっていく。
準ひきこもりは楽を追求する社会が生んだ現象じゃないかと思います。
幸福な生き方というもののレールが実在するかのように教育されてきて、成長するにつれセンシティブな人ほどそれが間違っている事に気付く。しかし周囲からは「お前が間違っている」と責められ元の「幸福な生き方のレール」に戻るよう強要される。そうして身動きが取れなくなってしまった人が「ひきこもり」「準ひきこもり」という状態に陥るのではないでしょうか。

【準ひきこもりの処方箋?】
本人が間違っていると認識しているレールに無理やり乗せても前に進むはずもありません。レールは他にもあるんだと言う事に気付けば自分からそのレールに乗っかって進みだすでしょうし、それが唯一の解決方法なんじゃないかなと私は思います。少なくとも「元のレールに強制的に乗せようとする」方法はなんの解決にもならないのではないかと。
処方箋という言葉にも「外部からの対処が有効」という考え方が透けて見えるので、正確ではないかもしれません。当事者がその人自身のレールを見つけない事には無意味です。


※補足
学歴や職歴に穴があって働きたくても働き口が無い、というような問題はひきこもり問題ではなく就労問題のカテゴリになるので、その人の「レール探し」は別問題として扱います。

昔の同級生と夕食&あらたに始める事

昨夜、通信制高校時代の同級生と会ってきました。
もう10年以上も全く連絡をとってなかったんだけど、再会できたきっかけはmixiです。たまたま私がmixiで彼を見つけてメッセージを送って、現在も割と近所に住んでいる事がわかったので「じゃあ会おう」と。
彼も元ひきこもり(不登校)で、NHKのひきこもり特集番組に出演した事もあるんです。NHKのサイトに今も顔写真とコメントが載っています。現在うつと戦いながら仕事をがんばっているそうで。

相方もうつと元ひきこもり、その他ある病気について彼と共通の話題があり少し前からmixiで彼と交流を持っていて、3人で一緒に夕食を食べながらいろいろと話しました。と言っても私は会話が苦手なので彼と相方がほとんどしゃべってましたけどねw
mixiは思いもよらない人と交流できるのが良いですよね。


話は変わって、侑摩佳彌さんとの計画について。
彼とWEBでの活動について意気投合し、何か新しい事をやってみようかという話を今しています。どんな事かまだ内緒ですが、Twitterのような交流系サイトを企画管理が侑摩さん、開発を私が担当で作ってみようかという話をしています。
私はWEBプログラミングについては素人に毛が生えた程度のスキルですが、とにかく失敗を恐れずになんでもやってみる事が大事だと思うので。
というわけで本業の合間にちょっとずつ作業を進める事になりました。
もちろん水のしずくの管理もちゃんとしますよ。

侑摩さんはかなり技術系にも明るくてCakePHPというPHPフレームワークの存在を教えてくれました。私はそんな名前は初耳で後からよく調べてみたところ、これはもしかしたらかなり良いかもしれないと思いました。
どういうものかというと、簡単に言えば「PHP」というプログラミング言語を使ったWEBサービスの開発効率を何倍にも増してくれるもの、と言えばいいでしょうか。
これをマスターすればmixiのようなSNSサイトでも数日あれば作れちゃうかもしれない。実際に人に使ってもらうサイトにするには仕様検討やデザインなどもあるのでもっと長くなるけど、プログラミングははるかに楽になりそうです。

侑摩さんも私も元ひきこもりで今でも対人関係は苦手。でも今の時代は頭の使いようしだいで「普通の人」にならなくても、彼らとは違う形で人生を送れる事を証明してみようという夢を語りました。今は「ドロップアウト、アウトロー」がメインストリームになれる時代です。
むしろドロップアウト組であった事は武器になるとも思います。「普通の人」とは違う人生を送ってきたという事は貴重な体験だし、その体験が無ければ見えなかったものもありますからね。


体調がいまいちです

ここ2,3日ちょっと体調が変。
3日前からおとといにかけては歩くのも辛いくらいの頭痛があって
かなりしんどかったです。
それがおさまったら次は原因不明の熱が出ました。
風邪とは違う感じです。
今日は熱も下がりましたがまだちょっと違和感があります。
食欲はそこそこあるんだけれど量がいつもより食べられない。
自分の感覚では医者に行くほどではないと思うんですが…。
なんだろう?
早く治るといいな。

ひきこもり村の管理人だった侑摩佳彌さんと少しお話をさせて頂きました。
WEBの世界で生きていくそうで、自分も今の仕事をいつ失うか不安なので
見習わせてもらおうと思います。
その話は次回詳しく書く予定です。


世界一ウケたい授業

「地図の上は北で下は南」??あきれた教師、分限免職
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080109-00000082-sph-soci


「地図の上は北で下は南」は、特に断りが無い限り地図の上が北である事は常識だからこの教え方でも別におかしくないような・・・?

他はたしかに間違いではあるが、もしかしたらこの教師は偏屈で、教え方がひねくれてるだけなのかも・・・。そこであえて無理やり擁護してみます。

「経線」を「かけせん」と読んだのは、「罫線」と混同しないための独自のアイデアだと推測できる。それなら「きょうせん」とでも読むべきでは?と思うでしょうが「きょうせん」だと単に読み間違えただけだと思われてしまう。
「かけせん」と読むからこそ「罫線との区別」という推測が可能であり、同時に「先生!どちらかというと罫線のほうがかけせんだと思います!」とツッコんでくる骨のある学生が現れる事をワクテカしながら待っている二重トリック。
恐るべし。
自分の頭で考える力の弱い現代だからこそ、いちいち説明しなくてもこれくらいの事は推測して脳内補完できなければいけないというスパルタ方針なのだ。


「三角形は一つの曲線と二つの曲線に囲まれる」
これは手ごわいです。
単純に「三角形は三つの曲線に囲まれる」ならば非ユークリッド幾何学で説明が付く。
しかしまだ謎がある。
なぜ「三つの曲線」ではなくあえて「一つの曲線と二つの曲線」なのか。きっとそこには恐るべき真実が隠されているに違いない。
「一つの曲線」で示される曲線と「二つの曲線」で示される曲線は「共に曲線であるが他方の曲線とは異なる種類の曲線」という不可解極まる状態なのだ。そんな異次元曲線がこの世にあったなんて。


・・・もうこのへんでやめておきます。
真面目な話、分限免職されるからには実際に教育スキルや人格面に問題があるからなんでしょう。でもスポーツ報知の記事があまりに恣意的で悪意丸出しなのでちょっと気の毒です。


(追記)
地図で「上下ひっくり返しても上が北と言っていたんだろう」と指摘しているブロガーさんもいますがそこまで思考が破綻していると教師以前に人として生活できないだろうし・・・。全体的に記事が説明不足なので実際のところはよくわかりません。


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