19日のチャット会に参加された方、お疲れ様&ありがとうございました。
楽しかったです。
ある方から、「『社会と経済掲示板』に書き込みをしたいが、もし見当違いの事を書いたらと思うと怖いので書き込みしづらい」といったような意見を頂きました。その気持ちはよくわかります。
成果主義社会の弊害と言うか、失敗は恥だという風潮が世の中にあるせいでしょうか?
でも、失敗はむしろどんどんするべきだと思います。
よく議論というものは「誰の意見が正しいか」を明らかにするものと思われがちですが、それは間違いです。
自信の無い自分の考え方を示して、その考え方に穴がないかを相手の目から見て指摘してもらい、また同じように相手の考え方の穴も自分から見て相手に指摘をし、そうやって繰り返しながらお互いに賢くなるためのやり取りが議論です。
正しいか間違っているか自信が無い事を、他人に別の角度から見て判断してもらうためのものです。つまり言い換えると、皆が最初から正しいとわかっている事だけを発言するような場なら、議論としてはあまり意味がないんですよね。
「あなた賢いですね」と言われて終わりです。
それ以上の成長の余地はそこにはありません。
「賢いですね」と言われて満足感を得たいがためにそうする人もいるでしょうが、でもそれは「それ以上賢くなれる可能性」を自ら捨てているだけであって、本当の意味で賢くは無いと思います。「できるだけ人前で自分のバカさを曝け出す事」が賢くなるための条件と言えないでしょうか。
しかし、これが討論になると全く逆になります。
討論は議論と違い、「誰が正しいか」という観点で勝敗を決するものです。
お互いに賢くなる事が目的ではなく、現時点で誰が一番賢いかを決するのが目的の、ゲームやスポーツのようなものですね。討論において勝敗を決するのは第三者=審判であり、討論の相手が自分の意見を理解するかどうかは関係ありません。ゲームなので、仮に相手の意見が正しいと思ってもそれを認める事は絶対にないんですよね。
審判が勝敗を言い渡すまでは永久に続いてしまいます。
ネット上ではこの「審判の居ない討論」を無駄に長々とやっているのをよく見かけます。どこまでやっても決着はつかない上に、自分が正しいと思ってしまっているから得るものも何もない。これは本当に無意味な事ですよね・・・。
ネット上の掲示板に、何を目的として参加するかを念頭に置けば、間違った事を書くことが恥だとか失敗が怖いと思う必要は全く無いと思います。自分に自信がある人というのは別に自分が正しいと思っているわけではなく、失敗経験が豊富で、同じミスをしない人の事なんじゃないかな。
人の失敗を笑う人間は、自分が失敗する事をも恐れている人間なので、つまりそれ以上成長しない人です。
相手にせずさっさと追い抜いてしまいましょう。
そういう自分も、自分の考え方の穴を常に探しています。